医学論文の英語校正ならジーニアスプラス

そもそもなぜ論文を書くのか?

そもそもなぜ論文を書くのか?

英文の論文校正の書き方や重要さなどは過去に説明してきました。今回の記事は、そもそも何故論文を書く必要性があるのかについてです。論文を書くということは世の中に有益な情報を残すということであり、専門の分野に貢献するということです。論文がもたらす医療、医学の発展への貢献ははかり知れません。研究結果の良し悪しに関わらず、後の研究者に伝えるべき研究内容の論文は提出されるべきなのです。研究や医療は日進月歩で発展しています。遅れた医療や研究に関しての論文が混在することは、医療の世界において不利益になります。それでは、論文を発表し、臨床の向上と医学の発展に貢献していく重要さと、医療従事者としての義務について話していきましょう。

臨床研修と論文発表

医療従事者は、臨床研修を実施し、その研究について学会や医療雑誌に論文を投稿することにより公表する責務があります。そして、医学、医療は論文のみで進化しているということをまず理解しなければなりません。例えば、死亡例は低いが、ごく稀に起こる重篤な副作用があった場合、その事実をより多くの人に確実に伝える義務が医療従事者にはあります。それは論文により世の中に広く公表することができ、世界の医療従事者は公表された情報にはアクセスすることができます。もしその情報を公開しなければ、その状況に立ち会った人間以外には知りえないということです。その稀に起こる最悪な事態にも世界の医療機関が対処できるよう貢献することが重要なのです。
また、医療は日進月歩で発展していると言いました。つまり、進んだ医療と遅れた医療が混在するということは、質を損ずるだけでなく、それどころか医療業界全体の信用を損ねる可能性もあります。常に新しい研修内容を公表し情報をアップデートしていくことは、結果、様々な治療の可能性を共有し、多くの命を救うことにも繋がります。片方が遅れた医療を用い、もう一方で進んだ医療が導入されているという状況は避けられなければいけません。従って、進んだ医療をしている者は学会報告や論文で示すべきであり、論文の公表こそ、医療情報を全世界のできるだけ多くの人に正確に伝えるのに最も有効な方法なのです。学会だと情報を得るのに出席するなどの手段を必要としますが、論文であれば簡単にアクセスすることができます。そして何よりインターネットで世界が繋がるこの時代、論文はオンラインで必要な時に瞬時に手に入れることができるのです。論文の担う医療界での役割は今後もっと大きくなっていくでしょう。

論文発表の必要性とそれにまつわる歴史

19世紀までの医療はどのようなものであったか。それは現在の医療とは全くかけ離れたものでありました。科学も産業も発展しだした19世紀より以前は、迷信や思想に基づく治療が横行していました。日本国内のケースを見てもそれは一目瞭然です。大きな病気になれば寺社に祈りを捧げ、占い師に適切な療法の教えを乞うのが普通でありました。それはいち早く医療が発達した西洋でもよく見られた光景でありました。医療が発展していても、すべての人にそれが広まることはまずなく、またすべての医療従事者が最新の治療法を共有しあっていたことはありませんでした。
しかし、現在ではエビデンス(証拠)に基づいた医療が行われています。事例があり、治療法が論理的に見いだされ、症状や患者の状態により治療方法が選ばれます。そして建設的に論証を立て、いかに有効に治療法が働いたのかも記録に残されます。医療が進んだ現在にも有効な治療法がない病気がたくさんあり、医療従事者は暗中模索の日々を過ごしています。今の世の中においても論文は必要であり、有効な治療法を発見するためには臨床研究は欠かせません。しかし研究だけでは無意味なのです。よく、”Without publication, science is dead”と言われます。つまり、論文を出版しなければ、その研究も医療科学も死んだも同然ということです。研究が行われなければ医療は進歩しません。しかし、その研究が世の中に公開され世界の医療従事者の手に渡らなければ、その研究はなされなかったも同じなのです。医療の発展に貢献するためには、論文の公表は必須なのです。
人を対象にした研究を施行した場合、原則的にその結果を公表する義務があるということは、ヘルシンキ宣言にてなされました。それはよりよい医療の発展のために、医療従事者は研究を行い、その研究内容と結果について学会で報告をしたり、論文校正をして医学雑誌などで投稿をしたりするべきだということです。原則的に論文は出版されるべきで、それは世界の医療の発展に大きく貢献することになります。有意差があった研究はまず論文や学会などで発表されるべきだというのは当然のことだと誰もが考えると思います。有意差とは「意味のある差」、つまり偶然生まれた差ではないということです。医療であれば、臨床研究で、症状が改善された人の事例が偶然ではないということが立証できればできるほど有意差があると言えます。それは、医療機関と特定の分野において必ず公開されなければいけない結果です。世界にいる医療従事者がその研究内容と結果にアクセスし、学ぶことができることは、医療の発展と臨床の向上に大きな貢献をもたらします。
一方、結果が出た際、統計学的に有意差がなかった研究、いわゆるネガティブスタディーであったことが判明することもあります。しかし、たとえ、ネガティブスタディーであったり、あるいは結論に達しない結果であっても、有意差があった研究と同様に、論文などで公表したり、あるいは、誰にでも入手できる状態にする必要があります。結果が伴わなかったとしても、それは次へと進んだ医療現場で行われた研究の結果であり、進んだ医療の一部と言えます。先述したように、遅れた医療と進んだ医療が混在することは、医療の世界に不利益と不信感をもたらします。有意差の出なかった研究も論文などで公開されることによって、その分野で臨床研究を行っている研究者には、「うまくいかなかった事例」として有益な情報となりえます。その研究と結果についての改善策が生まれることもありますし、何より、その研究方法がうまくいかなかったことが証明されたことにより、その方法が治療などで用いられることがなくなります。それがつまり、医療従事者は研究を行い、その内容と結果は学会あるいは論文投稿によって公開されるべきというヘルシンキ宣言につながったのです。