ジャーナルへの投稿を済ませ、数週間がたち、ようやく査読結果がやってきました。査読内容を確認するときが最も緊張する瞬間なのではないでしょうか?しかしその査読にも善し悪しがあります。今回は、よい査読とよくない査読の特徴をまとめてみます。いずれにしてもきちんと対応しなければなりませんので、その対応の仕方についても触れてみたいと思います。
1.論文の査読とは
論文査読というのは、投稿された論文に対して同じ領域の別の研究者が内容をジャッジするものであり、科学的な合理性、目的の明瞭性、方法の妥当性、結果の新規性・頑健性などを評価します。
このプロセスによって健全な科学が維持されるという良い側面があります。実際に建設的な意見を中心にまとめてくるような査読者のコメントをみると、論文の内容を修正するにとどまらず、その領域の新たな知見を得る貴重な機会にもなり得ます。
明確な方法が提示されているわけでは必ずしもなく、査読者の裁量によって確認項目、評価方法が異なります。そのため査読への対応はテイラーメイドとなります。そして編集部が必ず内容をチェックしており、ある程度質的には担保されたコメントが論文投稿者のもとに届けられます。
2.よい査読とは
査読に統一した方法があるわけではないため、統一した評価軸での評価は難しいですが、以下のような項目を掲げているものがあります。
- 論文の内容が学会の領域に合致しているか?
- タイトルおよび本文がストーリーとして成立しているか?
- 要旨は本文の内容を反映しているか?
- 諸言に研究の背景と目的が明記されているか?
- 適切に文献が引用されているか?
- 方法は目的に対して適切か?
- 方法に記載された内容が、すべて結果に記載されているか? 結果に記載されている内容が、すべて方法に記載されているか?
- 考察が飛躍しすぎていないか?
このような評価軸に沿って査読が行われていれば、その査読は良質なものであるといえるかもしれません。
そして丁寧な表現であって投稿者に対する一定の敬意が現れており、建設的な議論ができればいうことありません。
また、査読文章の構成がわかりやすいことも重要で、
- 箇条書きや段落に分けるなど、ポイントごとに簡潔に問題点を指摘している
- 何を修正してほしいのかを明確に示している
- 枝葉末節にこだわり過ぎずに、バランスよく記載されている
といったこともよい査読であると感じる要素でしょう。
3.よくない査読とは
しかし世の中そういった査読ばかりではありません。上記とまるきり正反対の査読文章が返ってくることがあります。
また論文を本当にきちんと読んでいるのだろうか?と疑問に思いたくなるような査読内容が返ってくることがあります。
例えば、
- 論文中に記載されているのに「記載がない」と批判してくる
- 論文中の結果の解釈が根本的に間違っている
- 修正してほしい箇所を明示せずにただ論文原稿の批判ばかりしてくる
- 統計学の非常に細かな点を重箱の隅を楊枝でほじくるかのようにしつこく指摘してくる
など枚挙に暇がありません。もちろん査読者は自分のプライベートな時間をわざわざ割いてくれるので、大変ありがたいことではあるのですが、上記のような査読が返ってきてしまうと、非常に困惑してしまうわけです。
査読者の気持ちを害することなくこれらを一つ一つ解決していくしかないのですが、中には非常にまれではありますが、どうしても納得がいかない理不尽な査読や、ひどい内容の査読を受けることがあります。
この場合には編集部に査読者に伝わらない形で連絡を取るのが良いでしょう。
不幸にしてそのような査読者にあたってしまうと、せっかくの研究成果が世の中に向けて発信されるのが遅れてしまうばかりか、研究者のもつ大切なリソースが無駄になってしまうかもしれません。
もちろん毎回気に入らない査読が来たら編集者に抗議するわけではありません。あくまで理不尽な査読を受けた場合にのみ適用するようにしましょう。
ついでながら、英語がnon-nativeであると思われるような査読者の場合に、英語の表現が少々間違っていることがあります。しかし、内容的に上記の「良い査読」の条件を満たすような査読であれば「ああ、英文校正に出し忘れたんだな」くらいにしか思いません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。査読そのものは非常に素晴らしい仕組みであり、科学の進歩に間違いなく寄与してきたことでしょう。
しかし誰もが査読を行うことができるような現状ですので、査読者の質が必ずしも均一に担保されているわけではありません。
抗議するに値するような内容であることを十分に確認しつつ、理不尽な要求に対しては疑義を提示する勇気を持つことも大事ではないでしょうか。