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論文を書く心構え

論文を書く心構え

臨床研究をはじめとする様々な論文を執筆をする機会がありますが、そもそもなぜ論文の発表が必要なのでしょうか。それは医療従事者にとっての責務の一つが、臨床研修を実施し、その研究を学会や医療雑誌で公表することだからです。論文の投稿により全世界に最新の医療が発信されます。つまり医療の発展は論文の発表なしにはあり得ないのです。 医療はまさに日進月歩で進んでいて、古い研究と新たな研究の論文が混在してしまい、その状況は医学界に不利益をもたらします。古い研究をアップデートするためにも医療従事者は論文の執筆も行い世界の医療現場に貢献していく必要があります。
今回の記事は論文執筆にあたっての心構えについて話しましょう。

論文は情報伝達の手段

冒頭で述べたように、臨床研究を行い、その研究内容や発見、結果や経過観察などを発表し、より多くの医療従事者と共有することは、医学界にとって大切な貢献となります。特に英文で論文を執筆し、海外のジャーナルや学会で公表するということは、日本国内のみならず世界中の医療従事者に研究を公表するということになり、世界の医学界への貢献度の高さは計り知れません。論文を書くことにより、より新たな知識や稀な臨床ケースが世界に発表され、世界の医療従事者が新たに医療の知識を得、結果論文を読んだ医師が自身の医療現場で適用することにより、多くの命が救われるということにつながるのです。実際の医療現場で救った一つの命のケースが、世界の何万もの命を救うことになるということに論文の公表の重要性があり、それが医師の責務につながるということです。 研究には、有意差のある研究と、有意差のない研究つまりネガティブスタディーと呼ばれるものが存在します。有意差とは「意味のある差」を意味し、その差が偶然生まれたものではないことを指します。医療の場合、臨床研究によって症状が改善された人の事例が偶然ではないということが立証できれば、有意差のある研究と認められます。もちろん有意差のある研究は上手くいった事例ですから、ジャーナルに論文を投稿し公表されなければいけません。しかしながら、論文発表となると大きな発見をした場合や、有意差があった臨床研究を論文にして発表しようと考える研究者が多く、また有意差のある論文がジャーナルに投稿される傾向もあり、有意差の認められなかった研究をはじめとするネガティブスタディーは公表されない場合が多いです。これは医療にとって望ましい状況とは言えません。なぜなら、有意差のなかった研究は「意味・効果のない療法」として医療従事者の間で認識されるべきだからです。結果の得られなかった治療方法が公開されることなく、数多くの医療機関で同様の治療方法が試されることがあれば、それはそのまま患者の不利益にもつながります。医療従事者はいかなる研究も世界の医療従事者に公開し共有されなければいけないことを念頭に置き、論文は情報を発信できる最大のツールとしてとらえ、論文執筆の意義を見出すべきです。

明解な文章の重要性

論文の執筆において頭を悩ませるものの一つに、書く作業そのものが挙げられるでしょう。特に、海外の学術ジャーナルに英文で論文を執筆し投稿をする研究者にとっては、英語という壁も立ちはだかります。しかし英文で論文を書く際にも心構えがあります。それは気取らず、簡潔に執筆するということです。医学論文は学術論文なのでもちろんアカデミックイングリッシュの使用が求められます。しかしそれは複雑な英語を使うこととは別物です。非ネイティブ話者が英文で論文を書く際は、Fool-proof English(誰にでも扱える簡単で無難な英語)の使用を徹底しましょう。まず論文にはある程度決まった定型表現が存在するのでそれらを活用します。普段から英文の論文を読む際、Methodsの書き方など論文執筆に使えそうな表現などをピックアップしておくと便利です。そして誰が読んでも明確に論文が理解できるように明解な英語で書きましょう。その際の秘訣としては、主語を明確にすること、受動態および関係代名詞の多用を避けること、冗長の文章を避け短い文章で書くことなどが挙げられます。断定や推量に関する文章には適切な助動詞や形容詞を用い、確実に読者に「どれほど確かさがあるのか」を示しましょう。日本語では時に曖昧な表現が好まれ用いられることがありますが英文では絶対に避け、断定するときは断定するということが重要です。また、簡潔で無難な英語を使用することは、後の英文校正に役立ちます。英文校正の際はネイティブスピーカーや英語のプロにチ依頼する場合が多いと思うのですが、明確な英語で書かれていると、英文校正者は文法や語い選択などに集中できるので、「ここは何が言いたいのか」という思考の迷路に落ちることが少なくなります、論文は臨床研究について発信するための手段であり、英語の良し悪しで研究の質が評価されるわけではありません。文学的才能は論文評価には関係がないので、気取った文章ではなく、明解さを追求した英文を目指しましょう。